| 名 称 |
指定 |
説 明 |
所 在 地 |
こんどうばんりょうかいまんだら
金銅板両界曼荼羅
【工芸品】
《S25.8.29指定》 |
国 |
府川城址でもある布川の徳満寺(真言宗)の寺宝であり、赤松宗旦も「布川案内記」の中で、その重要性を高く評価しています。曼荼羅は一面が横約50cm、縦が約100cmの金銅界、胎蔵界の二面で、それぞれ九板の金銅板から成り立っています。各板共に尊像筆の重要部分を打ち出しで現わし、更に線彫を加えて図様を一層明瞭にしています。制作時期は建久5年(1194年)で、現在は東京国立博物館に所蔵されています。
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東京国立博物館
2面 |
とねじがためうた
利根地固め唄
【無形民俗文化財】
《県:H14.12.24指定》
《町:H6.4.20指定》 |
県 |
江戸時代のはじめに、利根川を江戸湾から銚子へ流れを変える大工事が行われました。以来今日まで、休むことなく河川工事が続けられてきました。建設機械など無かった当時、多数の者が共同作業をする際に、動作を揃え、作業を効率良くすると共に、怪我人等を出さないようにするために歌われたのが「地固め唄」の始まりです。現在は、「利根地固め唄保存会」により、唄の発掘・保存が行われてます。
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生涯学習センター
中谷967 |
たつぎかいづか
立木貝塚
【史跡】
《S52.7.24指定》 |
町 |
立木台の下に広河の砂州が堆積し、その砂丘上にあらわれたヤマトシジミ、マシジミの主淡貝塚です。縄文後晩期貝塚の特徴である洪積台地下の湖成段丘面に立地しています。東西150m、南北50mの貝塚ですが、100個以上といわれる日本最多級の土偶出土遺跡として知られています。
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立木2184 他
1,251u |
はなわだいかいづか
花輪台貝塚
【史跡】
《S52.7.24指定》 |
町 |
早尾台にあり、いまから8千〜9千年前の縄文早期遺跡で、竪穴住居遺跡や土器など豊富な遺物が発見されています。なかでも、日本最古といわれたヴィーナス型土偶(通称=花輪台のヴィーナス)は、手足頭を欠く女性裸像ですが,その均整のとれた美しさには目を見張るものがあります。周囲は宅地化が進み、今は家並みの中にぽつりと小高い丘として往時をしのばせています。
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早尾200−201
991u |
ふかわかいづか
布川貝塚
【史跡】
《S52.7.24指定》 |
町 |
来見寺の境内から布川神社入口にかけて広がっています。布川台の南裾部に位置し、骨器、鹿骨、包丁型石器、そし土師器(はじき)片も出土していることから、縄文晩期以降の生活跡と見られています。また、人骨がほぼ完全な形で出土しています。上顎門歯抜歯の跡があり、出土した土器からも、縄文晩期のものと推定されています。
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布川2857 他
12,151u |
ふかわじょうあと
府川城跡
【史跡】
《S52.7.24指定》 |
町 |
府川城は、中世末期の永正16年(1519)頃、豊島頼継が、当時「府川」(布川となったのは近世に入ってから)と呼ばれていた台地に築いた城です。天正18年(1590)に豊島氏が減んだあと、「府川城を守りて、常陸の佐竹義宣に備えるべし」と、松平信一が府川城主として配置されています。この城は、現在の徳満寺付近一帯にありましたが、今は、空掘と土塁の跡のみが残っています。
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布川3004 他
7,900u |
こうもうじんじゃ
蚊もう神社
かどのみや・おくのみや
(門の宮・奥の宮)
【建造物】
《S52.7.24指定》
※『もう』は「虫」へんに「罔」 |
町 |
「延喜式神名帳」(927)に「相馬郡一座蚊もう神社」とその名が記されているように由緒の古い神社です。「蚊もう神社由来記」は孝霊天皇3年(前288)に水神を、文武天皇2年(698)に土神を祀ったのがはじまりと伝えています。門の宮、奥の宮の二社殿からなり、地元の人は「文間大明神」と呼んでいました。門の宮のあるところは、立木貝塚の名でよく知られています。なお、現在の門の宮本殿は元禄11年(1698)に、奥の宮本殿は元禄16年(1703)に再建されたものです。
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門の宮:立木2184
奥の宮:立木882
各1棟 |
あかもん
赤門
【建造物】
《S52.7.24指定》 |
町 |
来見寺は、府川城主豊島頼継により、永禄3年(1560)に創建されました。当初は、頼継寺(らいけいじ)といいましたが、徳川家康の上意により名が改められたといいます。布川の来見寺(曹洞宗)の中で赤門は最古い建造物で、宝暦5年(1755)に再建されました。家康公ゆかりの寺の門ということから、特別に赤く塗ることを許されたもので、普通は通ることを遠慮したものだと言われています。扁額は、明僧の心越禅師の書です。かつては、現在の駐車場の所にありました。赤門に向かって右側には「赤門やおめずおくせず時鳥」という小林一茶の句碑が建っています。
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来見寺
布川2956−1
1棟 |
まびきえま
間引き絵馬
【絵馬】
《S52.7.24指定》 |
町 |
徳満寺の本堂廊下には、「間引き絵馬」が掲げられています。絵馬には、母親が必死の形相で点生まれたばかりの子供の口をふいでいる様が描かれており、水害と天明の飢饉に襲われた農民の悲惨さを象徴しています。民俗学者柳田國男は13歳のとき(明治20年)長兄のいる布川に身を寄せ2年余を過ごしましたが、布川でのさまざまな体験と、この「間引き絵馬」、そして「利根川図志」にふれたことが、後に民俗学を志す原点になったといわれています。
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徳満寺
布川3004
1幅 |
あまごいえま
雨乞い絵馬
【絵馬】
《S54.6.30指定》 |
町 |
蚊もう神社の奥の宮には、「雨乞い絵馬」があります。この絵馬は、雨に悩み日照りに悩んだすえ、明治になっても最後は神に祈るほかなかった農民が「雨乞いに慈雨がもたらされた歓び」から、感謝を込めて奉納したものです。
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蛟もう神社(奥の宮)
立木882
1幅 |
すぎのすううんえま
杉野嵩雲絵馬
【絵馬】
《S54.6.30指定》 |
町 |
書家の杉野東山の弟、杉野嵩雲による絵馬で、琴平神がおぼれている子供を救う様子が描かれています。嘉永4年(1851)琴平神社に奉納されたものです。
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琴平神社
布川3008
1幅 |
ふかわがしえま
布川河岸絵馬
【絵馬】
《S54.6.30指定》 |
町 |
琴平神社に天保14年(1843)に奉納された絵馬で、利根川の河岸として栄えた布川の様子が描かれています。当時、利根川は江戸への物資輸送の大動脈として舟運が栄え、特に、布川河岸は木下河岸と呼応してたいへんな賑わいでした。裏面にはおよそ140名の寄進者の名が記され、当時の河岸関係者が推測できます。
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琴平神社
布川3008
1幅 |
さくゆえま
搾油絵馬
【絵馬】
《S54.6.30指定》 |
町 |
文政13年(1830)、琴平神社に奉納されたもので、当時の油しぼりの様子が克明に、生き生きと描かれています。水田中心の農業は春から秋に集中するため、比較的ひまな冬期は、菜種やエゴマの搾油に精を出しました。また、布川の書家で知られる杉野東山も搾油を生業していたといわれています。
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琴平神社
布川3008
1幅 |
じんぐうこうごうとたけのうちすくねえま
神功皇后と武内宿祢絵馬
【絵馬】
《H8.6.21指定》 |
町 |
徳川時代末期の慶応元年(1865)に制作されたもので、布川神社に納められた武者絵です。神功皇后と武内宿祢が描かれており、構図筆致ともすぐれた作品として知られています。作者は、赤松宗旦の「利根川図志」の挿絵も描いている玉蛾という絵師です。
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布川神社
布川1779
1幅 |
うじがわせんじんあらそいえま
宇治川先陣争い絵馬
【絵馬】
《H8.6.21指定》 |
町 |
「神功皇后と武内宿祢絵馬」と同じく慶応元年(1865)に制作されたもので、布川神社に納められた藤井春川による武者絵です。5月5日の子供の日に奉納されており、男の子が丈夫に育つようにと祈願したものであると思われます。
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布川神社
布川1779
1幅 |
あまのいわとえま
天の岩戸絵馬 【絵馬】
《H8.6.21指定》 |
町 |
徳川時代末期の慶応元年(1865)に制作されたもので、天照大神(あまてらすおおみかみ)が、弟の素戔鳴尊(すさのおのみこと)の乱暴を怒って天の岩戸にとじこもったいう伝説を絵にしたものです。作者は、赤松宗旦の「利根川図志」の挿絵も描いている玉蛾という絵師です。
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布川神社
布川1779
1幅 |
もくぞうにおうぞう
木造仁王像
【彫刻】
《S52.7.24指定》 |
町 |
奥山の泉光寺の境内には、仁王門(嘉永3年)があり、運慶派仏工の作といわれる阿吽(あうん)の仁王尊2体が祀られています。仁王尊に「わらじ」を奉納し足が丈夫で無事に旅ができるよう祈ったり、奉納された「きりすね」(機織りのとき、最後に残った木綿糸のこと)を女たちの痛んだ手に巻いて回復を願い、また目が疲れたときには「め」の字を書いた絵馬を奉納し、目の回復を祈願するなどの民間信仰がありました。なお、泉光寺の創建時は不詳ですが、鎌倉街道沿いの寺として、古い歴史を持つ真言宗の寺です。
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泉光寺
奥山777
1躯 |
もくぞうかんぜおんぼさつりつぞう
木造観世音菩薩立像
【彫刻】
《S54.6.30指定》 |
町 |
泉光寺に祀られている観世音菩薩は、鎌倉から室町初期の作と言われ、鎌倉仏の特色である宋様式を表しており、素木(しらき)づくりで唇にわずかに紅をさしています。「行基が常陸の国へ行く途中、奥山の近くを通りかかると、沼の中から光明を放つものがあり、近づくとそれは1個の浮木だった。行基はそれを拾い、奥山へ上がり、観音経を唱えながら、3日3晩寝ずに仏像を彫りあげた。それが泉光寺の観音像だ」という言い伝えがあります。
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泉光寺
奥山777
1躯 |
もくぞうりょうかいだいにちにょらいざぞう
木造両界大日如来座像
【彫刻】
《S54.6.30指定》 |
町 |
押戸の根本寺(真言宗)には、「両界大日如来坐像」があります。これは法界定印(胎蔵界)と智拳印(金剛界)両界を表した、たいへんめずらしい像です。根本寺の創建時は不詳ですが、利根町の中でもっとも古い寺の1つといわれています。
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歴史民俗資料館
中谷967
1躯 |
もくぞうじぞうぼさつりつぞう
木造地蔵菩薩立像
【彫刻】
《S61.7.23指定》 |
町 |
布川の徳満寺(真言宗)の地蔵菩薩は「子育て地蔵」と呼ばれ親しまれています。元禄時代に京都の六派羅密寺より勧請したもので、身丈約2.2mの立像です。毎年11月24日から次の日曜日まで開帳され、土・日曜日には「地蔵市」が開かれます。
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徳満寺
布川3004
1躯 |
もくぞうふどうみょうおうざぞう
木造不動明王座像
【彫刻】
《H6.9.20指定》 |
町 |
布川不動堂に祀られている寄木造り(材質:ヒノキ)の坐像で南北朝時代(14世紀)に作られたものと推定され、明治期に再彩色されています。毎月28日に堂が開かれ、1月、5月、9月のみ開帳されています。
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布川不動堂
布川3318
1躯 |
もくぞうだいにちにょらいざぞう
木造大日如来座像
【彫刻】
《H6.9.20指定》 |
町 |
「木造不動明王坐像」と同じく布川不動堂に祀られている「木造大日如来坐像」は寄木造り(材質:ヒノキ)で、制作年代は鎌倉時代(13世紀)と推定されています。顔型が丸く肉付きが豊かで、衣紋の彫りが細かく、裾部のひだが松葉型をしています。
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布川不動堂
布川3318
1躯 |
もくぞうあみだにょらいざぞう
木造阿弥陀如来坐像
【彫刻】
《H15.2.21指定》 |
町 |
この仏像は、惣新田地区集会所に安置されていたもので、平成12年度に行われた茨城県未指定有形文化財調査により非常に価値があることが分かり、平成15年3月24日付で利根町指定有形文化財に指定されました。造りや、風格からして鎌倉時代初期のもので、町内にある仏像の中でも最も古い時期のものですが、何故、惣新田地区集会所に安置されていたのかは不明です。木造阿弥陀如来坐像は座高が26.7cm。寄木造、玉眼、肉身部は漆箔で、非常にプロポーションが良く、近年塗替えがされています。古くから非常に大切にされていたと考えられるこの仏像は、現在、利根町歴史民族資料館に展示されています。
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歴史民俗資料館
中谷967
1躯 |
よしはまけもんじょ
吉浜家文書
【古文書】
《S52.7.24指定》 |
町 |
立木の吉浜家は、江戸時代、立木村で代々名主役を務めた家柄で、寛永期の「検地帳」や「名寄帳」、各年代にわたる「御用留帳」、克明に記された「村絵図」「年貢割付状」、村方出入りの「一件訴状」など3,000点以上にも及ぶ膨大な量の古文書が保存されてきました。これらの「吉浜家文書」は当町随一の貴重な古文書です。
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歴史民俗資料館
中谷967
3,034点 |
じょうわめいいたび
・貞和銘板碑
えいにんめいいたび
・永仁銘板碑
【参古資料】
《H54.6.30指定》 |
町 |
板碑は中世の歴史を知るうえで、貴重な金石文の1つです。利根町ではそれほど数多く発見されておらず、中でも立木、の裏山中腹から発見されたこれらの板碑は大変重要なものです。特に、“貞和五年”と銘あるものは“北朝”の年号が使われているのが注目されています。なお、利根町の板碑は氏神として祀られていたものが多かったようです。
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歴史民俗資料館
中谷967
各1枚 |
おがわけうじがみ
小川家氏神
【工芸品】
《S54.6.30指定》 |
町 |
柳田國男記念公苑(旧小川家跡)にある「小川家氏神」には、こんなエピソードが残っています。『日本民俗学の父柳田國男が少年の頃、小川家の祠の扉をおそるおそる開いてみたところ、思いもかけず美しい玉が入っていました。國男は興奮して気が遠くなってしまい、春のよく晴れた青い空に幾十もの星を見たのです。その時、ヒヨドリが鳴いて通ったので、我に返った』ということです。このことは、國男が繊細な感受性の持ち主であったことの証であると人々に受けとめられています。この氏神は小川家の当主の東作が明治14〜15年ごろ、祖母が日頃から愛玩していた石の玉を、氏神の御神体として祀ったもので、「その頃としてはずいぶん新しい考え方であった」と、後年、柳田國男は述べています。
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柳田國男記念公苑
布川1787−1
1基 |
ずぎのとうざんてんがく
杉野東山篆額
【書跡】 《S54.6.30指定》 |
町 |
布川の書家杉野東山によるもので、琴平神社に奉納されています。裏面には、「天保十五(1844)甲辰盂春、彫工塗箔、押戸村椙(杉)山林哲同宗哲」とあります。
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琴平神社
布川3008
1幅 |